青い夏の夢を見る

日記と読書備忘録

空っぽにならないように本を読む

 どうやら私は人より記憶が抜けやすいようなので、自分が空っぽになる前に本を読んで補給する。

 

 なにが空っぽになってるのか自分でもよく分からないけど、ただ少しの焦りを抱きながら物語を摂取し続けている。

 今現在、他のジャンル含め激ハマりしているものがないことが、恐らくこの空っぽ感の要因だと思う。自分の中で夢中になれることがないから、外部から物語をひたすら摂取し続ける。

 私は読了感に浸る、という行為をほとんどしないから、言葉通りに次から次へと小説を手にとる。文字やキーワードを見れば思い出せるけど、何もカンペがない状態でストーリーを思い出すことは私にとって困難なのだ。読了後1年経つと結末さえ忘れることもある。ポンコツ脳すぎる。こんな記憶力でも、ありがたいことに読書は楽しい。

 

 読書なんて1人でやってることなんだから、自分の好きなように読もう、と常々思っている。けれど、次から次へと物語を摂取し続ける私の読み方は、「エンタメを消費している」ことにならないか、と少し気にしている。特に私は、物語を摂取してもすぐに記憶から抜けてしまうから。心に響いたこともすぐに忘れてしまったら、それは「消費」になってしまうのではないか? それを恐れて、読メやツイッター、ブログなど、記憶が得意な媒体の力を駆使し、本から得られた私の感情を私の中に残そうと試みている。

 

 言語化すると記憶に残りやすいのは間違いなく、ツイッターで呟いた感想などは比較的思い出しやすい。ただしツイッターランドでは爆萌シーンについてしか言及してないことが多いので、ツイートを追ってもストーリーは思い出せないことが多い。残念なことに、小説の内容の記憶、という点では全く役に立っていない。

 (つい先日、「十三歳の誕生日、皇后になりました。」の最新9巻を読む際、8巻の内容を思い出すために自分の感想ツイートを遡ったが、毛ほども役に立たなかったため結局8巻から読み直した。)

 私の読書感想がストーリーの流れよりもワンシーンに言及することが多いのは、時系列の記憶が特に苦手だからだろう。アファンタジアではない人はストーリーが頭の中で流れていくのだろうか? それはとても羨ましい。想像力の欠如という、アファンタジアの性質への愚痴を言いだすと止まらないから、今回はのみこんでおく。ひとまず現状は読んだときの感情を記録しておければ満足なので、これからも爆萌シーンについてツイッターランドで語っていきたいと思う。

 

 こんなに記憶力が低い人間だから、日記を書かなきゃ! と気合を入れたのはついこの間のことだ。記憶力が弱いことは読書だけでなく、もちろん日常生活にも及んでいる。先ほど自分自身が「空っぽ」だと表現したが、物事を経験しても、体感しても、すぐに私の中から消えていってしまうなら、それはまさしく「空っぽ」ではないか? 焦りを感じるのも仕方がないなと、文章を打ちながら思った。

 と言いつつ、急に日記を書き始めた最も大きな要因は、敬愛すべき斜線堂有紀先生の日記に触発されたからだ。めちゃくちゃ面白いから皆さんも読んだ方が良い。なんと、無料で読める。読んだことがない小説の紹介が多かったが、それでもとても楽しい。巧みな文章で、触れたことのないジャンルにも興味が湧いてくる。

 私は記憶が抜けるのも早い一方で、他者からの影響をめちゃくちゃ受けやすい。空っぽになりがちだから、吸収してしまう。そしてすぐ抜けていく。私は自分のことをまさに「熱しやすく冷めやすい人間」だと自覚していたが、この記憶力の弱さも影響しているのかもしれない。

 某日記に影響を受けた分かりやすい証拠がある。これまで日記ですら「ですます調」が主体で書いてきた私が、今回は「である調」で書いている点だ。「である調」の日記を読んだ後に自分で日記を書こうとしたところ、なぜか自分の中に浮かぶ言葉も「である調」でしか出てこなくなってしまった。なんだか賢く見える気がして良い。とはいえ、エクスクラメーションマーク過多の勢いのある文章も好きなので、これからどちらで書いていくか少し迷っている。

 

 不思議なもので、日記を書こうと決めると、日常生活での些細なことが記憶に残りやすいことに気付いた。「あ、これ、ネタになるかな?」と、私の心の中で印象に残るのだ。印象に残れば、それだけ記憶も長持ちする。こうやって日々のことを少しずつ自分の中に刻み付けていけば、「空っぽ」から逃れられるような気がする。

 最近、考える能力が衰えてるな、と思っていたので、その点のリハビリとしても丁度良いかもしれない。読書感想文を書く時も、思ったことを上手く言語化できず、面倒くさくなって「良かった!」で終わらせてしまうことが多々ある。良くない! オタクとして非常に良くない傾向! 考える能力、言語化する能力を失ってしまったら、私は私でなくなってしまう。日記を書けば否が応でも考えるだろうし、頭の体操として頑張っていきたい。

 

 

 前置きとして「日記を書くぞ!」と宣言したかっただけなのに、既に結構な文量になってしまった。本当はこのまま「あまりにも眩しい君―普通ってつまらなくないですか? 編」や、「朝の支度時間の30分もトイレに吸い込まれたあわわわ編」、「ポケスリ奮闘記」など、しょうもない話を続ける気だったのだが、また次回ということにする。

 日記が溜まったら排出、最低月一回ペースでの日記更新を今年の目標にしたい。

 

 しかし、私は熱しやすく冷めやすいのである。この日記書きたい欲をどこまで保っていられるか、正直不安しかない。小説もたくさん読みたいし。次の日記がすぐに出ることを祈っておいてください。